凡人に世の中の変化を予測することは難しい。
それなりに子育てについて、考えています。双子が生まれてから。親ですから。
「これからの時代はこうなるから、これを教える」とか「これからは起業家精神が大事!幼い頃から養う」とか、どれも正しい気がしちゃうし、情報が多い分、迷ったり、悩んだり…。
僕は「これから」のことはよく分からんです。来年のこともよく分からんのに、20年後なんて、皆目検討がつかないっす!頼りにならん父親ですまん!双子よ…。
なんで今まで生きてきて、変わらないこと、変わらなかったこと、そして、変わりそうにないことを僕からは双子に教えてやろうと思ってます。
・素麺の美味しさは薬味で決まる。あれは薬味を楽しむ料理だ。
・家のカレーはルーの箱の裏に通りに作れば間違いない。ただし、独自の工夫を加え「カレー迷子」になる時期も男には必要だ。
・野球かサッカーなどスポーツを観てれば初対面の人とも話せること多い。
・銭湯や温泉に入る前にには股と足は綺麗に洗うべき。
・短歌を読む習慣はあって損しない。現代短歌も面白いが、百人一首も一通り覚えておくと、ふとした時に気のきいた表現がでる。
・蕎麦屋と鮨屋は馴染みの店を近所に持っておく。美味い不味いで選ぶ必要はなく自分のハマり感で選ぶ。
・スタジアムで野球観るときは守備を観るとプロの凄さがわかる。
・気に入った映画は2回目が面白い。一日ぐらいおいてからいく。
・商売女に入れあげれば痛い目見る。
・冬は湯豆腐が美味しい。
・湯豆腐は絶対に木綿だと思ってたけど、絹もいける。両方用意するのがベスト。
・おでんの時はあんまり米食いたくないけど、茶飯を炊く。
・夏の終わりの夕日は綺麗だ。
・日本で一番綺麗な夕日は宍道湖の夕日。
・貧乏でも友達や彼女がいれば割と楽しい。
・美味しか不味いかは料理の値段や味より、誰とどんな話をしながら食うかで決まる。
・結局は金持ちかどうか、偉いかどうか、有名化どうかより楽しく生きた者が人生の勝利者だ。
・父は双子のこと好きだよ。金持ちでも、貧乏でも、有名でも、無名でも、近くにいても、遠くにいても。それは変わらないよ。
トマトジュースで離乳食のトマトキューブを作る。
トマトって旨味成分も含まれてて出汁として使えますが、塩がほとんど使えない離乳食の味付けに便利です。
生トマト買ってきて下処理して…って面倒なんで僕は無塩のトマトジュース煮詰めてトマトソースをつくってます。カゴメのがおススメ。昔、仕事をしてたことがあるのですが、社員の方がみなさん素晴らしい方で、工場も清潔でした。この目で見ると、やっぱり安心できます。
作り方。
①無塩のトマトジュースをだいたい3分の2になるぐらいまで鍋で煮詰める(中火)。ゆっくり、かき混ぜたほうががいいです。
②粗熱がとれたら、製氷皿に入れて冷凍。蓋つきの製氷皿がいいです。100均で売ってます。
③固まったら完成。製氷皿から出したら、一個ずつラップでくるんで、冷凍庫で保管。
離乳食の味付けが物足りねえな…ってときに混ぜてます。レバーとかちょっと臭いかなってときにもいいですね。なんか離乳食のレパートリーが広がった気分!…になります。まあ、ただ混ぜてるだけなんですがね…。
天然の旨味調味料として使いつつも、トマトの野菜としてのバリューもありますから、なんか一石二鳥な気がしますしおススメです。
大人の料理に使ってもいいですね。ロールキャベツのスープとか…いいんじゃないでしょうか?
名づけに込められた我が子に主人公になって欲しい期待って、なんか変だ
キラキラネームって言葉があるけど、キラキラじゃないネームも、なんだか「主人公ネーム」になってきてるな…って僕は感じてます。
僕「かつひさ」といいます。
僕の友達は「なおき」だったり「まさし」だったり「ゆたか」「ともひろ」だったり…「あやこ」「まりこ」「けいこ」なんか全然、主人公感がない名前ばかり。世代です。
いい名前だけど、脇役感がすごい名前のオンパレード。
「かつひさ」って名前、どう考えても主人公につけないでしょ…。まず4文字で発音し難いし…。ヒロインがいいますか?「かつひさ…必ず生きて帰ってきて!」とか…。言わないっすよ。もちろん僕の時代も主人公感のある名前もありましたけど、主人公感を意識して僕らの親世代は名前をつけてないと思うんです。少なくともその感覚が主流ではなかった。
で、僕は自分の双子に主人公感溢れる名前をつけてます。双子の物語を書くとして、双子の名前に是非とも採用したい名前です。僕が作家なら採用しますね、確実に。
名前ランキングをみても「はると」「そうた」「あおい」「さくら」「りん」などなど…。どれもこれも主人公感が強い!
僕含めて、最近の親は、我が子に主人公になって欲しいんだな…って感じてます。
世の中みんなが認める主人公でなくていい、でも自分の人生の主人公にはなって欲しい…。そんな期待が名前から見え隠れ。…僕も期待してます。
この期待…なんか子供に「自意識を強く持て」って言ってるみたいで、なんか変。「自意識過剰でいけ!」って言ってるみたい。
ま、正直、自意識過剰の方が生きるの楽しいので、我が子たちも自意識過剰でいいんですが…やっぱり変な期待だな。
仲間!絆!愛!平和!…大声で叫ばれる正論が僕らを生きづらくしているなら、それは命の価値の高騰への恐怖なのではないか?
あらゆる正義っぽい主張のたぐいが行き着く先…それは「命大事」。
デカイ声で主張を叫ぶ人たちに「その主張をどうしてしてるの?」って疑問をぶつければ多分3回目ぐらいで「命大事だからだ!」に行きつくと思います。…その声が大きくなればなるほど、僕は生きづらさを感じる…。なんでなんだろう?
「命大事!」…当たり前だし、僕だって賛成だ。命は大事に決まっている。大賛成。なのにどうしてその声が大きく響くたび、僕は生きづらく感じてしまうんだろう…。
命の価値がどんどん高騰してる感覚に僕は恐怖しているんなじゃいか?最近、そんな風に考えるようになりました。
あの…生きるって…面倒くさくないですか?
いや、死にたいわけじゃないですよ。楽しいこともいっぱいあるし、美味しいものもいっぱいあるし、大事な人もいる。僕が死ぬことで悲しんでくれる人もいる…と思いたい。だから全然死にたくない。
でも、ふとした瞬間に「生きるのって…面倒だな」と思うことないですか?少なくとも僕にはある。
死ぬのは怖いけど、永遠に生きろ!と言われるのも同じぐらいに怖い。永遠にこの面倒なことに付き合うのか…それは嫌だな…そんな感じ。卒業の日があるから、今日もちゃんと学校に通える…そんな感じ。
いつかは死ぬ…このいつかくるタイムリミットに勇気づけられて、面倒くさい生きるという作業を今日も続けている…そんな気持ちになることがあります。
「命大事!」の声がどんどん高まって、命の価値が青天井に高騰して、いつの日か死ぬことが許されない感じになっちゃうのが、なんだか怖いんです。
僕もあなたもいつか死ぬ…絶対に死ぬ。それを時々想像することは、僕にとってはちょっとした救い、お守りのようなものになっているのかも知れません。
「命大事!」の声が大きくなって、僕のこのお守りが、持ってるだけで罰せられる違法なものになっていく感じ…それに恐怖しているような気がします。
でも、命ってやっぱり大事なんです。心からそう思うんです。このジレンマというか、矛盾に、今日も僕は生きづらさを感じています。
そして「面倒くさいな…」と言いながら今日も生きているんです。