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多くのことを中途半端に知るよりは何も知らないほうがいい。

双子育児。世相。飯。野球。おじさん。

おじさんとして生きる⑥~トリコロール精神とおじさん革命

トリコロール精神とは、自由、平等、博愛を意味しフランス革命の掲げた理想です。
このトリコロール精神を具現化した存在、それがおじさんなのです。
それぞれについて解説していきましょう。

◆自由

おじさんは「人の目」というところから自由になります。
おじさんも一応は社会人なので「世間の目」は気にするのですが「人の目」は気にしなくなります。
会社ではちゃんとしたスーツを着てるけど、プライベートでは1年のうち8カ月間フリース…という現象も「世間の目」は気にしても「人の目」は気にしないというスタンスから生まるものです。逆に休日ちょっと出かけるときでもジャケット着用!という変なこだわりも実は自分のやりたいようにやるという「人の目」を気にしないから起こる行動であって同様の起源を持っています。

「車は足!」と割り切ったおじさんは経済状態に関係なく小さい車に乗りたがりますし「車は趣味!」となったおじさんは赤い初代スープラに乗ります。「人の目」よりも自分の価値観が優先された結果です。自分が気に入っていれば合理性などどうでもいい、興味がないことについてはなんでもいい…という感覚になっているのです。

おじさは他人がどんな服を着てる、どんな車に乗ってる、どんなもの食べてる…ということに対してどんどんと鈍感になっていきます。人と自分とを比較することも減っていきます。人の目を気にせず自分の価値観で生きる…それこそが現代社会における自由です。そうです!おじさんは自由な存在なのです。おじさんがこぞって他人と比較したがるのは尿酸値ぐらいです。

◆平等

おじさんになると人の区別がつかなくなり「若い人」「東洋人」「西洋人」「黒人」程度の認識でまるっと人を分類しています。
映画好きおじさんではない限りおじさんの間ではウィル・スミスとエディ・マーフィは同一人物として処理されています。

おじさんになる前から知っているのでTOKIOSMAPの区別はついているのですが、おじさんになって以後の存在であるKis-My-Ft2とHey!say!JUMPはメンバーの顔をみても誰がどっちに所属しているのかさっぱりわかりません。「なんか一人野球の上手い子おったよな?あれはどっち?」と亀梨くんだけは知っていても彼がどのチームだったかはまったく分かってません。

女性アイドルについても然り。アイドル好きおじさんもいますが、多くのおじさんは世間ほどアイドルに興味がありあません。指原さんですら「なんかで一等賞になった子」というざっくりした理解です。野球の始球式でアイドルが出てきてもおじさんたちがリアクションに困っているのはそういうことなのです。だいたい隣の人に「有名な子?」とおじさんは聞いています。

小さな違いをあげつらい人と人とを比べ、そこに優劣をつけるが差別であるなら、このおじさんの「区別つかない」という状態は最高に平等であると言えます。
おじさんEYEから見えればみんな一緒。みんな平等なのです。

◆博愛

「なんでそういうパーマあてたのかな?」というスナックのママを口説いているおじさんを見ると思いますが、あれが博愛です。

このようにおじさんは「自由、平等、博愛」の革命精神を持った存在であるのです。
お気づきでないかもしれませんが、すでにあちらこちらに「おじさん革命」の火の手は上がっています。

しかし高度資本主義社会にとって「おじさん革命」は非常に危険です。
小さな違いや意味のない差異に付加価値という幻想をつけ高い金額で売り付けるのが資本主義者のやり口です。
自由、平等、博愛の精神と資本主義は実は水と油なのです。

「おじさん革命」が成し遂げられてしまったら大衆をコントロールできなくなります。価値を差異を新しく作り出すことが困難になるからです。いつまでも大事にスープラ乗られては困るのです。ずっと同じ服を着られても困るのです。

ですから資本主義の忠実なる僕である大手広告代理店やそれに隷属するメディアが「おじさん=ダメな存在」というプロパガンダを遂行し「おじさん革命」を妨害しようとしているのです。「おじさん革命」の敵はあまりに巨大です。

こうして「おじさん革命」は成功することなく、常におじさんは消費者として無視し続けられているのです。